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2024年10月9日水曜日

「性格」から見たセックスレス-セックスも「人間関係」—

  はじめに 





 皆さんは、これまで、ドラマや週刊誌などで、「セックスレス」という言葉を、一度は、目にしたことがあるのではないでしょうか。

 セックスレスという言葉は、「主に夫婦間で性行為が長期間ない状態」について、ある日本の精神科医によって新たにつくられた用語です。ちなみに、レス(less)という接尾語は、名詞の後につけられることによって、「~がない」とか、「~を欠いている」いう意味を与えるものです。

 そのセックスレスという現象を「性格」と「人間関係」いう視点から解き明かそうというのが、この投稿が目指すものです。ちなみに、セックスレスには、セックスに対して消極的、あるいは、忌避的なのが、夫側の場合と、妻側の場合がありますが、ここでは、「夫」に起因するセックスレスについて説明していきます。この場合、彼らは、セックスレスを除けば、「夫」や「父親」としては、ほぼ問題がないような、普通の人たちです。

 このセックスレスという現象には、身体的-生理的な側面からの理解も必要なものですが、実は、「人間関係」という側面も大いに関連していると考えています。まず、そのことから始めてみます。


 セックスも人間関係の反映 

 セックスは、単に欲求という「生理的」な視点でのみ見られがちですが、性的行為という現象の背景にも、「人間関係」があるということを私に教えてくれたのは、精神科医の下坂幸三氏(故人)でした。

 健全な若い男性なら、通常、性的欲求があり、女性側の受け入れがあれば、パートナー間で定期的に性的行為が繰り返されると考えるのが通常です。でも、性的行為を行うことに関しては、「生理的」な観点ばかりでなく、「心理的な観点も必要になります。つまり、人が性的行為を行う場合には、その人の「気持ち」や「考え方」がセックス自体にかかわってくるはずですし、パートナー間の「関係」が、それらに影響を与えると考えられるからです。

 後に詳しく述べますが、男性のセックスレスの場合、パートナーである妻に対しのセックスは忌避的ですが、浮気相手など、「別の女性」との間には性行為は成立するという現象が見られます。それは、妻との「関係」の中にセックスレスの要因があることを表しています。


 セックスレス夫婦の特徴的な関係 

 夫」の側がセックスに回避的なセックスレス夫婦の特徴について述べてみます。

 多くの場合、妻は、ものごとについての「自らの考えや基準」をカッチリともっている人たちであり、家族に対しては、それを「強く主張」する傾向にあります。半面、相手のきつい口調に「怖れ」を抱きやすい夫は、通常、不満はあっても、それに反論するのを避ける傾向にあります。このため、両者の間で激しい「衝突」が起こる可能性は少ないのです。

 一方、セックスレスの夫とは、初対面の人には緊張しがちであり、また、多数の人たちとかかわるのを「苦手」とする人たちです。半面、妻の方は、「社交的」な人たちが多く、人とのかかわりをあまり苦にしない人たちです。だから、「夫婦」単位として、社会で生活を営んでいく上で、夫にとって、妻は大いに助かる存在な訳です

 このことから、二人がともに生活をすることは「心地よく」、「便利」なので、そのことが、その夫婦が互いに「配偶者選択」をした理由でもあります。たぶん、このような夫婦の「組み合わせ」は少なくはないはずです。


 なぜセックスレスになるのか 

 ここで、しばし、セックスの「生理的な側面に話を移します。

 セックスという行為には、多少とも、「攻撃的」な要素が含まれるものです。それは、脳の中で「性欲中枢」と「攻撃中枢」がとても近い距離にあり、それらは深い関係にあるからです。動物の生殖活動の中でも、雌をめぐって雄同士が激しく争うような場面はよく映像で目にするものです。法治国家となる以前の、人類の長い歴史の中でも、「略奪」によって婚姻関係が形作られるという事例は、少なくなかったはずです。

 そう考えると、逆に、男性側の「攻撃性」が強く抑制されているような場合、「性的欲求」、つまり、「性的興奮」が起こりづらくなり、勃起や射精といった性行為に必要な生理的変化も起きなくなる可能性があると考えられます。

 ここで、再び、夫婦関係についての話に戻ります。

 前項で述べた夫婦関係により、夫婦の間では、妻の主張や要求の方が通ってしまいがちなので、生活上は、妻の方が「上位」となり、妻が家庭を「仕切る」ような存在となりがちです。夫の方は、そのことに抵抗はしますが、結局は、妻の「掌(テノヒラ)」で転がされるような存在となってしまいます。

 そのような「夫」は、性的場面において、「妻」の前では無意識的に委縮し、攻撃性が強く抑制されてしまう訳で、心理的にも、生理的にも、性的興奮が起きにくい状態になると考えます。


 夫婦関係に起こる悪循環 

 妻の前で、しかも、妻の期待に反してセックスができないということは、「夫」にとっては、「ダメ男」の烙印を押され、妻に責められることを意味しています。もともと自信のない「夫」は、人によく見られたいと思う反面、人に「だめな人と見られることを怖れる人たちです。セックスをしようとすることは、再び、妻の前で「ダメ」な自分をさらすだけでなく、妻の「怒り」に直面されられる可能性があるので、夫はセックスに回避的となる訳です。それに対して、健全な性的欲求のある妻の方は、当然、夫に対して「不満」を抱くはずです。 




 その不満をぶちまけられた夫は、妻の怒りに怖れを抱き、さらに、妻からのセックスの要求に対して回避的となり、その上、性行為自体もうまくいかなくなるのではないでしょうか。

 つまり、妻が「不満」を言えば言うほど、夫は妻のセックス要求に対して「逃げる」ようになり、そうなれば、妻の「不満」はさらに募る訳です。上記の図のように、悪循環というエスカレーションが起こる可能性があります。


 「関係」が変われば、セックスは可能 

 すでに述べたように、妻に対しては、セックスを避けたり、セックスが「不能」となったりする夫も、浮気や風俗の場合のように、相手が「妻」ではない場合には、普通にセックスができることがあります。

 相手が変わるということは、相手との「関係」が変わるということです。つまり、相手は妻のように優位的な態度ではなく、少なくとも対等の関係で接してくるからです。


 セックスレスは治るのか 

 理論上、夫婦の「関係」が変われば、セックスレスは治る訳です。

 ただ、すでに述べたような、両者のもつ「性格」や「気質」は、たぶん、生まれ持ったものなので、簡単に変わるものではないでしょう。また、長年、そのような夫婦の「関係」を互いに築き上げてきた訳なので、その関係も変わりづらいものとなっていると考えます。

 治る可能性があるとすれば、少なくとも、性行為中の夫婦の「関係」が、一時的にも変わるような場合ではないでしょうか。それは、互いの「役割(role)」を一時的に変えるような「演技(play)」ができた時だと考えます。互いの努力で、「演技」が完ぺきにできたならば、うまくいく可能性があるのではないでしょうか。「ダメもと」で、試してみる価値はあると思いますが‥‥‥。



志村宗生:「ことばのクスリ—薬に代わるこころのケア—」










 















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