性格、性格分析、性格類型、プーチン、小室圭、明智光秀、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、ゴッホ、水原一平

2025年3月25日火曜日

「性格」から見たドナルド・トランプ(2)—彼は「ソシオパス」なのか—

  はじめに 

 前の投稿では、ドナルド・トランプの「心性」(行動や考え)が、ヤクザのそれと極めて類似していることについて述べました。

 今回は、そもそも、ヤクザの心性」なるものは、どのようなものかについて明らかにし、そこからトランプの「性格」を読み解いていきたいと思います。

 そして、米国大統領としてのドナルド・トランプによって、どのような世界が生み出されるのか、可能な範囲で推察してみたいと思います。





 ヤクザの「心性」とは 

 ここで、彼の著書で向谷氏が描いている「ヤクザ」の典型的な行動様式について、箇条書きにしてみます。


  • 言葉や態度で「威圧」し、「恐怖心」を植え付け、相手をコントロールする
  • 自らの「利益」のみを求め、相手の利益や感情をまったく気にかけない
  • 「倫理感」や「順法精神」に欠ける
  • 平気で相手をだます、「嘘」をつく
  • 相手が頼ってくるよう、力や金があることを見せつける


 このような行動様式からは、「攻撃性」、「自己中心性」、「共感性の乏しさ」、「社会の規律に対する順守精神の欠如」、「人を操作しようとする志向性」といった、彼らの独特な「心性」が見えてきます。

 これらの心性は、一般的には、「反社会的」と呼ばれる心性であり、精神医学的には、「社会病質性(ソシオパシー)」と呼ばれ、それは、現在の精神医学の診断基準にある、「反社会的パーソナリティ障害(antisocial personality disorder)」と、ほぼ同義であると考えられています。

 

 反社会的パーソナリティ障害とは 

 反社会的パーソナリティ障害(以下、ASPDと略す)は、精神障害の診断基準である「DSM-Ⅴ」「ICD-10」では、次のように記載されています。


 ICD-10

  • 社会的規範、規則、責務を無視する持続的な態度
  • 他者の感情への無関心さ
  • 人間関係を築くことはできるが、その維持ができないこと
  • フラストレーションに対する耐性の低さ
  • 暴力を含む攻撃性の発散に対する閾値の低さ
  • 罪悪感を感じることや、経験から学ぶことができないこと
  • 他者を非難したり、社会と衝突を引き起こす行動を合理化したりする傾向


 DSM-Ⅴ

  •   種々の犯罪行為を通して、他者の権利や法律を軽視する。

  •   自らの欲するもの(金,権力,セックス)を手に入れるため人を欺き,利用し,言いくるめ,操作する。

  •   衝動的で,前もって計画を立てることがなく,自らや他者の「行動の結果」や、その「安全」を顧みない。

  •    しばしばすぐに怒り,身体的攻撃性を示す。

  •    自らの行動に対する後悔の念がない。その代わり、他者を責めることで、自分の行動を合理化する。彼らは人の意に従うことを嫌い,自分にとっての最善のみを考える。

  •    他者に対する共感に欠け,他者の感情,権利,および苦しみを馬鹿にしたり,それらに無関心であったりする。

  •   自己評価が過剰に高い傾向があり,独断的で、傲慢である。ただ、欲しいものを得るためには、感じよく、能弁に話す。

 

 トランプ=「ソシオパス」説 

 ハーバート大学メディカルスクールの元准教授で、精神分析医であるランディ・ドーデスは、2019年、執筆した本の中で、ドナルド・トランプには「社会病質」の心性があると述べています。

 彼は、過去の公式の記録を参照して、彼の「社会病質」的な心性について、次の点を挙げています。

1.他者に対する共感性の欠如、良心の呵責の欠如、嘘をつき、人をだますこと

2.現実認識の欠如

3.攻撃的な対応、衝動性

 ドーデスは、「ドナルド・トランプの発言と行動は、彼には重篤な社会病質的特性があることを示している」と結論づけ、その特性は、「アメリカの民主主義と安全にとって深刻な危険を生み出す」と警告しました。


 また、トランプの姪(長兄の娘)である心理学者のメアリー・トランプは、その著書の中で、ドナルド・トランプには、「都合が悪い状況で、嘘をつく」、「(子供時代での)人をいじめる、人を責める、責任を取らない、非を認めない、目上に敬意を払わない、他人への暴力などの、数多くの問題行動」、「自分をよく見せること、嘘をつくこと、巧妙にごまかすことといった“特技”」、「何でも知っている、なんでもできるといった大言壮語的な言動」といった性向があり、「彼は反社会性性格障害の診断基準にもあてはまっている」と述べています。

 さらに、トランプの父であるフレッド・トランプは、家庭の中では「暴君」としてふるまい、「冷淡」で「人らしい感情に欠け」、家族には「無関心」である一方、「厳格で融通が利かず」「支配的」であったと述べ、彼もまた、「社会病質者」だったとしています。


 トランプはASPDなのか? 

 トランプの心性が「ヤクザ」のそれと類似しており、「ヤクザ」には、反社会性パーソナリティ障害(ASPD)の心性があるとすれば、トランプがASPDである可能性は高いと考えられます。

 ただ、「パーソナリティ障害」と診断されるような人たちの多くは、その「障害」のため、社会的に適応できない人たちです。ちなみに、ASPDの人たちの多くは、法を冒すことで、刑務所の中にいるような人たちなのです。

 その点で、トランプは、有罪判決を受け、受刑者となる可能性はあったとしても、結果的に、社会的には成功しており、「パーソナリティ障害」と診断するのは適切ではないかもしれません。ただ、ASPDの心性を数多く持っている点を考慮に入れれば、「軽症」のASPDということができると考えられます。

 ASPDはどのようにして生まれるのか 

 ASPD(反社会性パーソナリティ障害)についての最新の論文検討では、「ASPDには強い遺伝的な背景があり、その比率は51%に及ぶ」とのことです。ただ、ASPDの親による劣悪な養育環境からの影響も、そこには加味されなければならないとされています。

 また、養育環境が劣悪で、思春期のみに反社会的傾向が限定されている人たちに比べ、犯罪者傾向が一生を通して続いている人たちの方が遺伝との関連性が高いとされています。(モフィット理論)

 トランプの場合、父親もまたASPDである可能性があり、トランプの反社会的傾向も、子ども時代から現在にまで続いているものであり、遺伝性の可能性があると考えられます。


 ASPDであるトランプが生み出す世界とは? 

 一次政権と異なり、トランプ二次政権内の部下たちはすべてトランプの言いなりとなる人たちであり、その点で、現政権の政策や活動は、トランプの「性格」の影響を色濃く反映したものになると考えられます。

 そのトランプが、大統領就任後、すぐに始めたことは、ガザとウクライナでの戦争行為を停止させる試みです。

 ただ、その考えは、そもそも彼の「個人的な満足に基づくものであり、また、「衝動的」なもので,前もって計画を立てることがなく、理念もないものなので、彼の考えた「結果」には終わらない可能性が高いと考えられます。

 また、諸外国の首脳と真の意味で「親密な関係」を築くことができず、また、他者と協力することができないトランプに取り、各国の複雑な利害関係を調整し、紛争を解決に導くような「外交」はできないと考えられます。

 たぶん、独り善がりに、「踊り、歌い」、結果、すべてうまくいかなくなると、トランプはその失敗を他人のせいにして、すべてを投げ出してしまうでしょう。

 失敗から学ぶことのできないトランプには、戦争を終わらせることはできないと考えます。

 次に、トランプは外国からの輸入品に「高関税」を課すという経済政策を実行に移しています。

 こうした、「自国の利益のみを追求する国内企業の保護政策も、他国の反発を招くだけでなく、世界経済がグローバル化してしまった現在において、世界経済を混乱に陥れ、世界的な「景気減速」と国内の「インフレ」をもたらすだけに終わる可能性があります。

 ただ、その「結果」をトランプは受け入れようとせず、嘘で言い逃れるか、他人に責任を押し付けようとするかもしれません。

 このようなトランプが率いる米国は「世界のリーダー」とはなりえず、トランプ在任中は、米国の代わりに、EUや日本などの西側社会が結束し、できれば、インドやブラジルなどのグローバルサウスの国々と連携することで、世界をまとめていかざるを得ないかもしれません。


【参考文献】

Lance Dodes : Sociopath,  in 「The dangerous case of Donald Tramp」,  (edited) Bandy X. Lee,  New York, 2019.

メアリー・トランプ : 「世界で最も危険な男—“トランプ家の暗部”を姪が告発-」, 草野薫、菊池由美ほか訳、小学館、2020.

Black, WD : Update on antisocial personality disorder, Curr Psychiatry Rep.26,10 ; 543-549, 2024.

Andrea, L. Glenn : Antisocial personality disorder- A current review, Curr Psychiatry Rep. 15,12 ; 427, 2013. 


志村宗生:「ことばのクスリ—薬に代わるこころのケア—」
志村宗生:「性格と精神疾患—性格類型によるその診立てと治療—」



 


2025年1月12日日曜日

「性格」から見たドナルド・トランプ(1)—「ヤクザ」の心性との類似点—

 はじめに 

 4年前にトランプがバイデンに選挙で敗れ、しかも、議事堂襲撃を扇動した疑いで起訴された時、そんな「横暴」で「自己中心的」なトランプが大統領に返り咲くことはまずないだろうと、大方の人は、そう考えたのではないでしょうか。

 その「予想」に反して、トランプが選挙に勝利し、2025年1月から米国の大統領になったわけですが、そうなったからには、その現実を直視し、彼が大統領として何を考え、何を行い、それが世界にどのような影響を与えるのか、冷静に分析するべきだと考えます。

 それに関して、私は、トランプの考えや行動が、日本の「ヤクザ」に類似するという観点から、それらを読み解いていきたいと考えます。




            AFPBB News より借用)



 ドナルド・トランプと「ヤクザ」の類似点 

1)「こわもて」に見えて、暴力を使うことは稀

2)「こわもて」や「大物」に見せるよう「演出」する

3)こわもてやハッタリを利用しつつ、利益を得る

4)損得でしかものごとを考えない

5)他者への責任感がない

6)票(稼ぎ)のにおいをかぎつけることがうまい


 1)「こわもて」に見えて、暴力を使うことは稀 

 「ヤクザ」と聞くと、一般の人たちは、傷害事件を起こすような「凶悪」で「粗暴な」人たちをイメージするのではないかと思います。でも、参考文献の著者である向谷氏は、意外にも、「暴力の行使を一番恐れているのは、実は、彼ら(ヤクザ)自身なのである」と述べています

 なぜなのでしょうか。

 現在では、特に「指定暴力団」の組員は、重大事件で逮捕されると、重い懲役刑が科されます。恐喝などの軽い事件でも、繰り返せば、なかなか出所することができなくなります。以前は、それで「箔」が付き、「務め」を終えると幹部として迎えられる時代もあったとのことですが、今は、違うと向谷氏は述べてます。今は、刑期を終えた時、戻る組が解散してしまっていることさえある時代だとのことです。さらに、組同士の抗争による事件は、警察の介入を許す口実を与えることになり、組織の弱体化につながりかねません。

 ところで、政敵にやたらと噛みつき、また、交渉相手を威圧するような、「こわもて」な印象のあるトランプですが、彼は、一期目の大統領の在任中、ほとんど、外国への武力行使を行ってはいません

 米国のドローンをイランが撃墜したことのへの報復として、イラン国内の軍事施設への攻撃が計画されましたが、その実施寸前で、トランプは攻撃停止を命じたとされています。彼は、その後の「報復合戦」といった、軍事行動のエスカレーションを怖れたのかもしれません。

 また、シリアの化学兵器使用への制裁処置として、シリアへの攻撃が計画された時も、シリアに駐l留するロシア軍に攻撃を事前に通知したとされています。これも、ロシアとの係争に発展するリスクを避けたかったためとされています。

 トランプも、「ヤクザ」と同様、武力(暴力)の行使は、割に合わず、「損」だと考えているのではないでしょうか。武力行使には、多額の「戦費」が必要となり、それで米国が得る、利権などの実質的な「利益」は少ないからです。それどころか、戦争が「泥沼化」すれば、国を弱体化させかねません。武力介入して、得られるのは、「民主主義の盟主」などといった名誉ぐらいなものですが、彼は、それにまったく価値を置いてないように思えます。


 2)「こわもて」や「大物」に見せるよう「演出」する 

 「ヤクザ」は、「言葉」、「風貌」、「服装」、「雰囲気」、「目配り」などで、相手を威嚇するのだと向谷氏は言います。威圧的な言葉、「こわもて」に見せるための顔貌、派手な服などで、相手に恐怖心を抱かせるような「演出」をするのだと。

 彼らがそうにするのは、そんなイメージを相手に与えることが「シノギ」をえるための、重要な手段であるからです。

 だから、ヤクザにとって、「メンツ(体面)」は命より大切なもので、「なめられたら、おしまい」なのです。




 トランプも、「体面」を非常に気にしています。自分を「大物」として認め、敬意を払う相手には機嫌がいいのですが、自分に逆らう相手をひどく嫌い、攻撃をします。彼は、自分の「顔」で、相手の指導者と外交をしているようにも見えます。


 ヤクザが演出するのは相手に恐怖感を抱かせることだけでなく、「力や金がある」、「影響力がある」と感じさせるために「演出」をするのだと、向谷氏は述べます。たとえば、ベンツなどの高級車に乗り、金無垢のオメガを身につけ、隣に美人の姐さんを置くといった「演出」です。また、高級クラブなどで派手に金を使うというのも、その演出の一つです。そのような「大物である」ように見せる演出によって、まわりが「頼りになる」、「何とかしてくれる」といった気持ちをもつようにさせるのです。向谷氏は、「ウラ社会は恐がられつつ、(ヤクザは)人気稼業」でなければならないと語っています。

 トランプも、自分を「大きく」、また、「影響力がある」ように見せるための「演出」に気を配っているように見えます。

 たとえば、ニューヨークのトランプ・タワー、自宅であるマル・アラーゴ、移動のためのプライベート・ジェット、元モデルの美人妻など、自分には、金や力があり、それを獲得するだけの能力があるといったアピールすることで、自らのカリスマ性を「演出」しています。

 また、衰退産業で働く白人労働者たちには、「関税を上げ、仕事を取り戻す」とか、不法移民におびえる人たちには、「移民を強制送還させる」など、耳障りのいい選挙キャンペーンで、自らは、「頼りがいのあり、何とかしてくれる指導者」だと思わせるように「演出」をします。

 ただ、それらの政策は、実効性に乏しく、整合性に欠けたもので、「人気取りの政策」に過ぎないのですが、それらの「演出」によって、経済的な「格差」に対して有効な策を講じることのできなかった既成の政治家にはない「力」を、特に、裕福でない白人の人たち感じさせることができたのではないでしょうか。

 

 3)こわもてやハッタリを利用しつつ、利益を得る  



 

 「ヤクザ」は、暴力という手段に訴えることなく、相手に恐怖心を抱かせる「演出」をすることで、「何をするかわからない」といった「恐怖心」を一般人にかせます。それを利用しつつ、言葉(レトリック=詭弁)で巧みに相手を操作することで、商売(シノギ)をしていると、向谷氏は述べています。

 トランプも、交渉相手に対して、突然、非常識とも思える要求を突きつけることで、「彼は何をするかわからない」といった恐怖感を相手に与えています。

 中国製品に対する60%の「関税」をはじめとする経済的な圧迫や、カナダやグリーンランドに対する領土拡大的な野心や、パナマ運河に対する利権的な要求など、大統領就任前にもかかわらず、つぎつぎと、かなり非常識と思えるような発言を繰り返います。ただ、それらは、諸外国に対する「威嚇」や「威圧」に他なりません

 ところで、向谷氏によれば、「ヤクザ」も、交渉は「無理難題から始め、小さな要求をスッと出す」、つまり、常に、王手、飛車取りを目指しているといいます。たとえば、最初、「500万借用の連帯保証人になる」ことを相手に要求し、相手がひるむと、「俺が信用できないのか」とすごみ、その上で、相手から200万の借金をするといった手口なのです。当初の要求が「ハッタリ」だとわかっていても、「ヤクザだから、何をするかわからない」という恐怖感と、巧みな交渉術により、その罠にはまってしまうのです。

 トランプも、「ヤクザ」同様、諸外国への要求がすんなり通るとは考えておらず、そのように威嚇することで、「トランプのやることは予測不能」といった恐怖心を相手に抱かせ、その上で、自分の要求が通りやすくなるようにしているのではないかと考えられます。威嚇された相手は、当初の要求が減額されたということで、「妥協するしかない」とあきらめるか、あるいは、「それだけで済んだ」と、むしろ安堵するかもしれません。

 そのような交渉手段は、向谷氏に言わせると、「ドア・イン・ザ・フェース」という、一種の心理作戦なのです。



 

 4)損得でしかものごとを考えない 

 一般社会の企業と同様、ウラ社会の「ヤクザ」も、しっかりと金を稼ぎ、組員を養い、「組」を大きくするため、日々、努力することが求められています。



 ヤクザ稼業にとって利益を得ることが一義的なことであり、彼らは、ものごとをすべて、「損得」で考えます。得になることを追い求め、損なこと、危険なことには、手を出さないのです。

 トランプも、一義的には、「損得」で政治を考えています。「ディール(取引き)」により、相手からの「譲歩」を引き出すことで、自らの満足感や自国の「益」ばかりを追い求め、「リスク」になることを避けようとしているのではないでしょうか。次の項で述べるように、彼は、政治家としての信念や政治的理念のために動くようなことは決してありません。

 

 5)他者への責任感がない  

 損得でしかものごとを考えないということは、個人的に言えば「倫理感」に欠けており、政治的に言えば、「理念」や「理想」が欠如しているということです。




 高倉健が演じたような時代の「ヤクザ」には、少なくとも、彼らを律する「義理」や「人情」といった任侠道があったと思われますが、現代「ヤクザ」には、それはなく、彼らには金や力がすべてだと考えられます。

 トランプにとっても、自分の利益や国益がすべてであるという意味において、彼の、他者に対する共感や責任感は乏しいと考えられます。

 民主主義」という「理念」も彼にとっては二の次のものであり、「地球温暖化」もまるで他人事のように見えます。共同体を維持するための「順法精神」も薄いようで、このため、4件の事案で起訴されました。また、メールなどで「虚偽」の発信をすることにも、まったく罪悪感はないように見えます。

 

 6)票(稼ぎ)のにおいをかぎつけることがうまい 

 ヤクザ」にとって、いかに多く金を稼ぐかが、もっとも重要な課題です。そのために、常に、金を儲けるための「ネタ」を探しているとされています。それを見つけにるは、動物的な「勘」が必要で、それを備えている「ヤクザ」が優秀な「ヤクザ」であるとされています。

 トランプも、「金」や「票」のにおいを嗅ぎつけることができるという点においては、名人級です。イスラエルの右派・極右政権を支持しながら、ガザの惨事に心を痛めている中東系の移民の一部の票にも手を伸ばしています。また、本来は、民主党の岩盤支持層である労働組合員や黒人層にも、うまく取り入り、票を得ています。同じグループ内にも、分断があり、それをうまく嗅ぎ取って票に変えることに関しては、天賦の才があるといえます。

 トランプにとっては、どんな「票」でも、自分に投じてくれる「票」をつかむことが、第一義的なことなのです。


【参考文献】

向谷匡史、「ヤクザの実戦心理術」、2003年、KKベストセラース


志村宗生:「ことばのクスリ—薬に代わるこころのケア—」
志村宗生:「性格と精神疾患—性格類型によるその診立てと治療—」


2024年10月9日水曜日

「性格」から見たセックスレス-セックスも「人間関係」—

  はじめに 





 皆さんは、これまで、ドラマや週刊誌などで、「セックスレス」という言葉を、一度は、目にしたことがあるのではないでしょうか。

 セックスレスという言葉は、「主に夫婦間で性行為が長期間ない状態」について、ある日本の精神科医によって新たにつくられた用語です。ちなみに、レス(less)という接尾語は、名詞の後につけられることによって、「~がない」とか、「~を欠いている」いう意味を与えるものです。

 そのセックスレスという現象を「性格」と「人間関係」いう視点から解き明かそうというのが、この投稿が目指すものです。ちなみに、セックスレスには、セックスに対して消極的、あるいは、忌避的なのが、夫側の場合と、妻側の場合がありますが、ここでは、「夫」に起因するセックスレスについて説明していきます。この場合、彼らは、セックスレスを除けば、「夫」や「父親」としては、ほぼ問題がないような、普通の人たちです。

 このセックスレスという現象には、身体的-生理的な側面からの理解も必要なものですが、実は、「人間関係」という側面も大いに関連していると考えています。まず、そのことから始めてみます。


 セックスも人間関係の反映 

 セックスは、単に欲求という「生理的」な視点でのみ見られがちですが、性的行為という現象の背景にも、「人間関係」があるということを私に教えてくれたのは、精神科医の下坂幸三氏(故人)でした。

 健全な若い男性なら、通常、性的欲求があり、女性側の受け入れがあれば、パートナー間で定期的に性的行為が繰り返されると考えるのが通常です。でも、性的行為を行うことに関しては、「生理的」な観点ばかりでなく、「心理的な観点も必要になります。つまり、人が性的行為を行う場合には、その人の「気持ち」や「考え方」がセックス自体にかかわってくるはずですし、パートナー間の「関係」が、それらに影響を与えると考えられるからです。

 後に詳しく述べますが、男性のセックスレスの場合、パートナーである妻に対しのセックスは忌避的ですが、浮気相手など、「別の女性」との間には性行為は成立するという現象が見られます。それは、妻との「関係」の中にセックスレスの要因があることを表しています。


 セックスレス夫婦の特徴的な関係 

 夫」の側がセックスに回避的なセックスレス夫婦の特徴について述べてみます。

 多くの場合、妻は、ものごとについての「自らの考えや基準」をカッチリともっている人たちであり、家族に対しては、それを「強く主張」する傾向にあります。半面、相手のきつい口調に「怖れ」を抱きやすい夫は、通常、不満はあっても、それに反論するのを避ける傾向にあります。このため、両者の間で激しい「衝突」が起こる可能性は少ないのです。

 一方、セックスレスの夫とは、初対面の人には緊張しがちであり、また、多数の人たちとかかわるのを「苦手」とする人たちです。半面、妻の方は、「社交的」な人たちが多く、人とのかかわりをあまり苦にしない人たちです。だから、「夫婦」単位として、社会で生活を営んでいく上で、夫にとって、妻は大いに助かる存在な訳です

 このことから、二人がともに生活をすることは「心地よく」、「便利」なので、そのことが、その夫婦が互いに「配偶者選択」をした理由でもあります。たぶん、このような夫婦の「組み合わせ」は少なくはないはずです。


 なぜセックスレスになるのか 

 ここで、しばし、セックスの「生理的な側面に話を移します。

 セックスという行為には、多少とも、「攻撃的」な要素が含まれるものです。それは、脳の中で「性欲中枢」と「攻撃中枢」がとても近い距離にあり、それらは深い関係にあるからです。動物の生殖活動の中でも、雌をめぐって雄同士が激しく争うような場面はよく映像で目にするものです。法治国家となる以前の、人類の長い歴史の中でも、「略奪」によって婚姻関係が形作られるという事例は、少なくなかったはずです。

 そう考えると、逆に、男性側の「攻撃性」が強く抑制されているような場合、「性的欲求」、つまり、「性的興奮」が起こりづらくなり、勃起や射精といった性行為に必要な生理的変化も起きなくなる可能性があると考えられます。

 ここで、再び、夫婦関係についての話に戻ります。

 前項で述べた夫婦関係により、夫婦の間では、妻の主張や要求の方が通ってしまいがちなので、生活上は、妻の方が「上位」となり、妻が家庭を「仕切る」ような存在となりがちです。夫の方は、そのことに抵抗はしますが、結局は、妻の「掌(テノヒラ)」で転がされるような存在となってしまいます。

 そのような「夫」は、性的場面において、「妻」の前では無意識的に委縮し、攻撃性が強く抑制されてしまう訳で、心理的にも、生理的にも、性的興奮が起きにくい状態になると考えます。


 夫婦関係に起こる悪循環 

 妻の前で、しかも、妻の期待に反してセックスができないということは、「夫」にとっては、「ダメ男」の烙印を押され、妻に責められることを意味しています。もともと自信のない「夫」は、人によく見られたいと思う反面、人に「だめな人と見られることを怖れる人たちです。セックスをしようとすることは、再び、妻の前で「ダメ」な自分をさらすだけでなく、妻の「怒り」に直面されられる可能性があるので、夫はセックスに回避的となる訳です。それに対して、健全な性的欲求のある妻の方は、当然、夫に対して「不満」を抱くはずです。 




 その不満をぶちまけられた夫は、妻の怒りに怖れを抱き、さらに、妻からのセックスの要求に対して回避的となり、その上、性行為自体もうまくいかなくなるのではないでしょうか。

 つまり、妻が「不満」を言えば言うほど、夫は妻のセックス要求に対して「逃げる」ようになり、そうなれば、妻の「不満」はさらに募る訳です。上記の図のように、悪循環というエスカレーションが起こる可能性があります。


 「関係」が変われば、セックスは可能 

 すでに述べたように、妻に対しては、セックスを避けたり、セックスが「不能」となったりする夫も、浮気や風俗の場合のように、相手が「妻」ではない場合には、普通にセックスができることがあります。

 相手が変わるということは、相手との「関係」が変わるということです。つまり、相手は妻のように優位的な態度ではなく、少なくとも対等の関係で接してくるからです。


 セックスレスは治るのか 

 理論上、夫婦の「関係」が変われば、セックスレスは治る訳です。

 ただ、すでに述べたような、両者のもつ「性格」や「気質」は、たぶん、生まれ持ったものなので、簡単に変わるものではないでしょう。また、長年、そのような夫婦の「関係」を互いに築き上げてきた訳なので、その関係も変わりづらいものとなっていると考えます。

 治る可能性があるとすれば、少なくとも、性行為中の夫婦の「関係」が、一時的にも変わるような場合ではないでしょうか。それは、互いの「役割(role)」を一時的に変えるような「演技(play)」ができた時だと考えます。互いの努力で、「演技」が完ぺきにできたならば、うまくいく可能性があるのではないでしょうか。「ダメもと」で、試してみる価値はあると思いますが‥‥‥。



志村宗生:「ことばのクスリ—薬に代わるこころのケア—」










 















2024年9月14日土曜日

「性格」から見た斎藤元彦・兵庫県知事—一連の行動を読み解く-


(「読売オンライン」から引用)


 はじめに 

 現在、毎日、マスコミを賑わせている話題が、兵庫県知事である斎藤元彦氏の「パワハラ疑惑」や、「内部告発」への対処の不適切さ、また、県会議員からの辞任要求に応じる態度が見られないことなどであります。

 それに対して、マスコミ等では、斎藤氏の一連の行動を、どのように理解してよいのかについて、さまざまな意見が飛び交っております。それは、彼の行動について、納得できる理解がされていないことを反映しているように思えます。

 そこで、今回、彼の「性格」を読み解く説くことで、斎藤氏の行動の背景にあるものを明らかにしようと考えています。


 斎藤元彦氏の性格傾向 

1)潜在的にある尊大さ
2)外部の世界よりも自らの世界が優先
3)気の短さ
4)頑固さ
5)まわりが見えてない
6)考え方は合理的、理性的

 これから、各項目について、説明していきたいと思います。

1)潜在的にある尊大さ

 彼の中には、自分完全な人間」であり、その自分はまわりを思うようにコントロールできる」といった考え方が本来あると考えています。それが、県庁の最高権力者になった時、いわゆる、「パワハラ」めいた行動として現わされてきたと考えられます。
 ただ、彼は合理的・理性的な考えの持ち主ですから、自分の立場というものはよく理解しており、その尊大さをまわりに示してはいけない場合があるということもよく理解していたと思います。だから、自分が「仕える立場」にいる場合には、極めて腰の低い、謙虚な態度を取り続けていたと考えます。


2)外部の世界よりも自分の世界が優先

 斎藤氏の関心は、彼のまわりの事柄よりも、彼の内部を向いていると考えます。言わば、彼は、彼自身の世界の中を生きているのです。しかも、そのことに強いこだわりを示すと考えられます。
 彼にとって重要なのは、彼が成し遂げてきた輝かしい県政の成果であり、彼の実績であり、彼が理想とする県政なのです。それが彼の見ている世界なのです。彼にとっては、まわりの批判や、彼が引き起こした犠牲者のことなどは、彼の視点の外の出来事でしかないかと考えられます。
 だから、彼は、自殺した県民部長に対してでなく、理想の県政を達成する目前で、それを台無しにしかけている「自分」に対して、「無念の涙」を流したのだとと思います。


3)気の短さ

 県職員のアンケートの中で、斎藤知事に対して、「瞬間湯沸かし器」というネーミングがなされていたという記載がありました。
 彼のこの気の短さは、彼本来のものだと考えられます。たぶん、以前から、何かを食べたり、買ったりするために、「列に並ぶ」といったことはしない人だったと思います。
 この気の短さが「癇癪」として表される対象は、彼が怒りを表しても「安全な人」たちだけに限られると思います。安全な人たちとは、自分の部下である、県職員の人たちです。

 おそらく、それは、県議会議員や「維新」の人たちには、絶対に見せない態度だと思います。彼には、気が小さいところもあって、彼にとって、相手に怒りを見せたことで”怒り”や”反感”を買うようなことは絶対に避けたいことだから、ではないでしょうか


4)頑固さ

 すでに述べたように、自分の外部の事柄よりも、自分の「世界」の事柄に対して関心は向けられており、それには、強いこだわりを見せます。つまり、その事柄に対しては、非常に頑固で、まわりの「説得」に応じることはないと考えます。
 実際、多数の県会議員の辞職勧告に従うつもりはないようですし、自分を知事に押してくれた「維新」の人たちの「やり直し」退陣の説得も無駄だと思われます。このままでは、不信任決議案が可決された場合、議会解散に持ち込んでも、知事をやめるつもりはないのではないでしょうか。
 この知事の「頑固さ」に一番頭を悩ませているのは、「維新」の人たちでしょう。この知事を担ぎ上げたのも、これまで彼をかばおうとしていたのも、「維新」でしたから、彼が知事を続けている間、「維新」の評判は下がるばかりだからです。もっと早く気づいて手を打たなかった「維新」の、「身から出た錆」でもあります。


5)まわりが見えてない

 先ほど述べましたが、記者会見の時、いつもはきわめて冷静な彼が、涙を流す場面がありました。

 後日、部下を自殺に追い込んだ「自責の念」による涙ではなかったのかと、記者が質問しますが、彼の回答に全員唖然としたのではないのでしょうか。
 先ほど述べたように、彼は「彼の中の世界」を生きており、まわりのことには関心が薄いと考えられます。


6)考え方は合理的、理性的

 知事の行動を見ている人たちの中には、「彼の行動は常軌を逸している」、「彼の考えは異常だ」と考えている人もいるかもしれません。

 しかし、基本的には、元来の彼は極めて合理的で、理性的な考えをする人だと考えます。記者会見の中での、彼の冷静で、「一応」筋の通った答弁の中に、それは見られると思います。



 彼のパラハラは、典型的なものではない 

 通常の「パワハラ」と呼ばれる行動の特徴は、パワハラの対象者に対して”いじめ”めいた、”陰湿さ”を感じるものです。また、パワハラを行う人は、日によって気分が変わりやすいといった特徴があります。

 それに対して、斎藤知事の「パワハラ」は「癇癪」に似たもので、怒りはあっても一時的なもので、相手を「虐め抜く」といった性質のものではなかったのではないでしょうか。前に述べたように、彼は気が短いので、彼の思い通りにならない状況で、怒りを示しても「安全」と思われる県職員に対しての「癇癪」だと考えます。

 でも、知事の逆鱗に触れた職員の立場からすれば、それを「パワハラ」と感じたとしても仕方ないと思います。


 なぜ元県民部長を追い詰めたのか 

 極めて理性的な考えをする斎藤知事が、元県民部長の「告発」に対して、県の内部調査結果だけで早急に彼を処分をしたのか、疑問が残るところです。

 それは、自分を「完全な人間だ」と考えている斎藤知事に対して、部下である元県民部長が「彼は不完全な人間だ」と公に訴えたことで、彼の自負心や威信を真っ向から傷つける結果になったからだと考えます。その彼にとって、「完全さ」を取り戻すためには、それを傷つけた相手を徹底的につぶすことが必要だったのではないでしょうか。それが、彼の性急で、理性的ではなかった行動の理由だと考えます。


「性格と精神疾患」:志村宗生;金剛出版、2015




 
  



2024年3月30日土曜日

「性格」から見た水原一平さん-その「強運」と「失敗」-

 はじめに  

 水原氏は公人でもスターでもなく、言わば、一般人です。ただ、大谷翔平の通訳を務め、さらに、今回、大谷を巻き込む不祥事が明らかになったことで、今や世界的な有名人となっています。

 その彼の行動や人柄について、マスコミやネットでは、やや混乱した評価がなされているように感じます。そこで、新しい性格類型を通して、彼の実像について明らかにすることで、今回の不祥事も含め、すべてを読み解いていきたいとと考えております。

 


(「Madenokoujiのブログ」より借用)


 水原一平氏の性格特性 

1)対人緊張が強く、集団の中に溶け込むことが苦手
2)自分をよく見せようとする
3)行き詰っても、まわりに相談をしない
4)自分に自信がない
5)独りの「楽しみ」を好む
6)行き詰ると、その場を回避する



 具体的な性格についての解説 

1)対人緊張が強く、また、集団の中に溶け込むことが苦手

 おそらく、水原氏は、特に、初対面の人には、ひどく緊張する性格だと考えられます。

 若いころ、彼は日本酒メーカーで営業職をしていたことがあります。その時、彼は、「ガンガンお客さんに押していくようなタイプ」でも、「どんどん切り込んでいくタイプ」でもなく、「一歩下がって控えめ」だったとのことです。

 「控えめ」だったというのは、おそらく、初対面での対人緊張が強かったからなのではないでしょうか。したがって、営業を行う際、要領よく相手に取り入り、商品を売り込むようなことは、得意ではなかったと考えられます。また、強く「押して」相手に拒否されるのを恐れ、売込みには消極的だったのではなかったのではないでしょうか。なので、彼にとって、「営業職」は、まったくの不向きな職種だったと思われます。

 その点、「通訳」は、翻訳をすることで、関係者間を「取り次ぐ」だけの仕事であり、コミュニケーション能力が高ければ、水原氏にとって、もっとも適した職種だった可能性があります。


2)友人が少ない

 まわりに対して積極的にかかわるのが苦手な性格なので、水原氏には、「友人」と言えるよう人は、少なかったと思われます。たぶん、同じ趣味をもっているような人で、しかも、積極的に他人に働きかけるような人でないと、親しくはなれなかったと考えられます。

 また、4)で述べるように、自らを進んで開示するような性格ではないので、「親友」と呼べるような人は、皆無と思われます。


3)自分をよく見せようとする

 エンゼルスに大谷とともに在籍していた2017年、MLBの公式ガイドブックには水原氏の経歴について『カリフォルニア大学リバーサイド校を卒業と表記されていた」とのことです。だが、大学側には、その記録はないとのことで、彼には「学歴詐称」の疑惑がもたれています。

 また、2010年、岡島秀樹投手が所属していたボストン・レッドソックスに通訳として働いていたという経歴についても、その事実はなく、それについても詐称疑惑がもたれています。



 これは、彼には、自分を実像よりも「よく見せたいといった傾向があったからだと考えています。関西風で言えば、「ええ格好しい」の人ではないでしょうか。かりに、彼に「虚言癖」があれば、長年、彼と一緒にいた大谷氏は、それを見破り、彼に信頼を寄せることはなかったと思います。基本的に、水原氏は「真面目」な性格であったと考えられます。


4)行き詰っても、まわりに相談をしない

 今回の騒動の件で明らかになったのは、その当事者の一人である大谷翔平氏にとっても、水原氏の不祥事は、「晴天の霹靂」だったようです。ですから、それ以外の人たちも、同じだったと考えられます。多分、奥さんや親にも、本当のことは話してはいなかったのではないでしょうか。

 彼には、自分の「ダメなところ」を人に曝け出すことができない性格だったと考えられます。なので、行き詰っても、誰にも、相談することはなかったのではないでしょうか。だから、このような大騒動になるまで、まわりが、彼のギャンブル依存のことも、借金のことも、まったく知らなかったとしても不思議ではないと考えます。


5)独りで、楽しむことを好む

 社会で働く時、人とかかわりをもつことは避けられない訳ですが、元来、対人緊張の強い水原氏にとって、それが精神的なストレスとなっていたものと考えられます。



 したがって、プライベートで自由な時間は、なるべく人との接触がなく、「独り」で楽しめるような趣味や楽しみが、ストレス解消の手段となっていた可能性があります。

 水原氏は、若い頃、一時、カジノのディーラー養成所に通っていたとのことです。そこから、ギャンブルにも興味をもった可能性がある訳で、それが彼の楽しみとなり、ストレス解消のため、「独り」で、密かにギャンブルを楽しんでいたと考えられます。


6)行き詰ると、その場を回避する

 「高校卒業後の10年間の、水原氏の経歴がはっきりしない」といった、マスコミの報道があります。それは、たぶん、比較的短期間で職を転々としていたためではないでしょうか。マスコミによれば、「いろいろな業種に挑戦はしていたみたいですね」と、知人は語っていたとのことです。

 そうなったのは、集団の中で人とかかわるのが苦手で、職場の同僚の中に溶け込めず、しかも、何かに行き詰ると、訳も告げず、すぐに職場を辞めてしまったからだと考えられます。

 また、不祥事の発覚前、スポーツ専門テレビのインタビューの中で、「大谷選手に事情を説明し、彼は借金の肩代わりに同意した」と答えていますが、これも、窮地に追い込まれ、一時的に「言い逃れる」ためのものだったと考えられます。


 大谷との相性 

 大谷と水原氏との相性は「よかった😃」と思います。




 なぜなら、大谷にはものごとに対する自分なりの「考え方」や「基準」というものがあり、身近な人たちには、遠慮せず、それを主張すると考えられます。この時、水原氏は、大谷と違った意見を述べることで、敢えて事を構えることは避けたい性格なので、大谷の意見に同調していたのではないでしょうか。そのため、両者の間で軋轢や衝突は、まず起きないと考えられます。

 また、水原氏は、彼にできる範囲のことは「真面目」に仕事をこなし、多忙な大谷をサポートしていたと思われます。

 もちろん、それまで、社会ではうまくいってなかった水原氏に対して、金銭的にも、社会的にも、大谷は、彼をサポートしていた訳です。




 水原一平の「強運」と「失敗」 

 それまで、社会的にはうまくいかなかった水原氏にとって、プロ野球界での「通訳」という仕事に出会えたことは、とてもラッキーなことだったと考えられます。さらに、日本ハム時代に大谷翔平と出会い、2018年、彼のエンジェルス移籍に伴い、専属通訳としてエンジェルス球団に雇用されるといったことは、水原氏にとって、とても幸運なチャンスだったと考えられます。

 マスコミによれば、その時、彼の父親は、「一平はすごく強運なんだ」と知人に語ったとされています。

 



 たぶん、水原氏にとって、大谷翔平は、大海を悠々と泳ぐ「ジンベイザメ」のような大きな存在であり、彼は、その大谷にくっ付く「コバンザメ」であったのではないでしょうか。つまり、彼にくっ付いてさえいれば、彼の評価も上がり、安泰な生活を保証されたようなものだったと考えられます。

 その彼にとっての落とし穴は、ストレスを解消するための、密かな楽しみであった「ギャンブル」だった訳です。違法とばくの胴元である人物との出会いが躓き(ツマズキ)の始まりだったかもしれません。さらに、2021年、大谷が大リーグで大活躍をするようになるに伴い、水原氏はより多くの人たちと接触せざるをえなくなったことで、さらに、精神的なストレスは高まり、そのため、ギャンブルへのめり込んでいった可能性があります。また、ギャンブルで負けが込んでいくに従い、さらにギャンブルにはまっていくことなったのではないでしょうか。

 大事(オオゴト)になる前に、誰かに相談できていさえすれば、今日のような事態には至らなかったかもしれません。だが、すでに、述べたように、友人は少なく、また、行き詰っても相談ができないという性格傾向があるので、雪だるま式に、事態が悪化していったものと考えられます。


 今後の懸念 

 すでに述べたように、行き詰った時に、水原氏がとる行動は、その場から「回避」するというものです。

 すでに職を失い、また、彼の不祥事が大事になったことで、たぶん、彼は、アメリカにも、日本にも、居場所がなくなる可能性があります。

 家族が彼の「逃げ場」になってくれればいいのですが、かりに、それもなくなった場合、水原氏には、どこにも逃げる場所がなくなる可能性があります。それは、彼にとっては危機的なことかもしれません。

 「身から出た錆」ではありますが、そうならないことを、ただ祈るばかりです。



【参考文献】

 

   







 水原一平の幸運と悲劇 

 

 

 

 








2024年2月13日火曜日

「性格」から見た画家・ゴッホ-苦難の人生から生まれた名画たち-

 はじめに  

 本邦では、「ひまわり(向日葵)」を描いた絵画でよく知られている、フィンセント・ファン・ゴッホを、今回は取り上げてみます。

 彼は、まさに「波乱に満ちた、苦難の人生」を送った人としても知られている画家です。しかも、彼の絵画が一般に受け入れられるようになったのは、彼が亡くなった後のことでした。彼の死因は銃創によるものですが、その原因については自殺説、事故説など、いまなお、謎とされています。

 彼の人生が波乱に満ちたものになったのは、彼の「運命」だけでなく、彼の「性格(気質)」が大いにかかわっているとされています。その特性について詳しく述べてみます。ちなみに、次の章で、彼の性格傾向を箇条書きにしてみました。

 本論では、彼の性格について解説した後、人々に鮮烈な印象を与える作品が生まれる上で、彼の性格が大きな役割を果たしているかもしれないことについてコメントをしたいと思います。



 ゴッホの性格特性 


1)傷つきやすさ、孤独と怒り
2)友人がいない
3)独り善がり
4)独りに耐えられない
5)被害妄想的な傾向
6)狂熱的な没頭


 

 ゴッホの具体的な性格傾向 

1)傷つきやすさ、孤独と怒り

 ゴッホは、幼少時から、「皆に拒否されている」、「誰からも相手にされてない」、「自分のやりたいことを邪魔されている」といった「感覚」をもち続けていた人だと考えられます。
 彼には生来の「過敏性」があり、まわりの人たちの些細なネガティブな言動や態度に敏感で、それに深く傷つき、結果、人との交流を避けるようになったようです。まさに、「ガラス細工」のような性格と言えます。学友は、彼を「よそよそしい」「内気」「他の子との関係をもたない」と評していたとのことです。

 彼の傷つきやすさは、時に、相手に対する「怒り」となって表されることもありました。ゴッホには「わずかな意見の違いも自分に対する全否定であるかのように受け止めて怒りを爆発させる性向があり」とされています。彼の家族は、彼のことを「うるさく」「けんか腰であった述べています。


2)友人がいない

 そのような人柄なので、当然、まわりとの人間関係がうまくいかず、まわりから「孤立」したり、まわりとの「衝突」を繰り返したりしています。結果、彼のまわりには、親友はもちろんのこと、長い間、彼との親交を続けたような友人は一人もいません。そんなゴッホが親しく付き合うことができたのは、「(動物や植物などの)自然」や、「(子どものような)単純な心の人だけだったようです。

 そのような中で、唯一のゴッホの親友と言えるのは、弟のテオです。彼は、兄弟の中で唯一ゴッホとは気が合い、また、兄のよさも欠点も理解していたと考えられます。また、ゴッホのそばにいて、彼の画家や思想家としての優れた資質や才能を認めていたのではないでしょうか。成人後は、兄から金銭を要求され続けたり、パリで同居していた時には、ゴッホの不機嫌さや独善的な長話に苦しめられたりしていても、兄との交流を保ち続けます。そのテオの支えがなければ、偉大なる画家ゴッホの誕生はなかったとされています。



3)独り善がり

 ゴッホには、自分だけが「正しい」、自分が「一番」と考え、より「一般的」な、より「常識的」な考えを受け容れようとはしない、独善的な傾向があったと考えられます。弟テオは兄のことを、「世の中の決まりごとという感覚が欠落している」と述べてます。また、ゴッホは、相手の立場に立ったものの見方や考え方が、まるでできていません。「気配り」や「気遣い」といったものは、それが必要なものだとコッホは、まるで考えていなかったように思えます。
 そのことは、彼の求愛行動にも表されています。思いを寄せる女性に対して、相手の気持ちを考慮することなく、自分の思いや考えを一方的に語り、相手を説き伏せようともします。

 画家の仲間との、絵画についての話の場でも、ゴッホは、一方的に自分の考えをまくしたてたり、相手の考えに多少でも納得がいかないと、すぐに議論を挑んだりしています。そのことで辟易させられた相手は、すべて、彼を避けるようになっていったようです。


4)独りに耐えられない

 独り善がりで、かつ、傷つきやすい性格のため、まわりの人たちとの人間関係はほぼうまくいかず、成人後のゴッホは、そのほとんどを「孤独」で送ることになります。しかし、困ったことに、彼には、独りでいることも難しいことのように思われます。つまり、孤独による「寂しさ」、「退屈さ(つまらなさ)」、「心細さ」に耐えられず、また、うまく孤独を紛らすこともできないようです。このため、彼は人との接触を渇望し、自分を理解してくれる人を追い求めます。

 先に述べたように、ゴッホは片思いの女性に「独り善がり」に求愛をするのですが、当然、そのような行動で相手から好意をもたれるはずもなく、彼は失恋をします。その時、その孤独に耐えられないゴッホは、それを埋める役割を「娼婦」に求めようとします。
 唯一の友人と言っていい弟のテオと離れて間もないのにもかかわらず、早速「君がいないと寂しい」という手紙を送り続けています。
 アルルの地で、一人、絵画の制作を始めたゴッホは、仲間を求め、アルルに来るよう、ゴーギャンを盛んに説得します。画商であったテオの勧めもあり、ゴーギャンは、アルルでゴッホとの共同生活を始めます。ただ、さすがのゴーギャンも、ゴッホの独善性や不機嫌さに耐えられず、ゴッホのもとを離れようとします。そのことと、唯一頼っていたテオの結婚がきっかけで、有名な「耳切り事件」が起こったとされています。


5)被害妄想的な傾向

 ゴッホは、対人関係がうまくいかず、人がみな彼を避けるようになった時、そうなったのは、「誰かが策略を仕掛けている」「誰かと共謀している」と考えたり、アルルの人たちとの関係がうまくいかなくなっ時には、「あちこちで毒を盛られている」と、被害的、妄想的となる傾向が見られています。
 

6)狂熱的な没頭

 ゴッホが父方の叔父の商会に就職し、ロンドンに赴任した時、ある女性に思いを寄せます。ただ、彼の思いが相手に届かず、失恋に終わった時、彼は失意のあまりひどくふさぎ込みます。その後、彼は仕事を辞め、突如、宗教家となるべく活動を始め、それに没頭します。おそらくは、失恋による痛手や孤独に耐えられず、一転、世俗を離れ、極端に禁欲的な生き方をしようとしたのだと考えられます。その活動は、貧者と同じ生活をしたり、自分のものをすべて彼らに分け与えたりした、極端なものであり、結局、伝道は行き詰りを見せます。

 絵画に対する熱中も、狂熱的なもので、まともに食事もせず、ほとんど寝ないまま、凄まじい勢いで絵を描き続けるといった行動もたびたび見られます。その傾向は、アルルで活動するようになってからは顕著でした。

 これらの狂熱的な活動は、その理由の一つとして、「孤独」がもたらす苦痛を多少とも和らげるために行われたと考えられます。つまり、何かに没頭している時だけは、独りぼっちであることを感じずにいられたからなのです。


 ゴッホの性格が偉大な芸術を誕生させた 





 まず
第一に、ゴッホの「独り善がり」な性格が、彼の絵画がきわめて「個性的」、「独創的」であることにつながっている可能性があると考えています。つまり、絵画の世界でも、まわりの画家を模倣したり、特定の流派の画風に合わせたり、他におもねるようなことを一切しなかったのではないでしょうか。また、絵を見る人に「気を遣う」ことも全くせず、あくまで自分流を「独り善がり」に貫いていったと考えられます。ひたすら、ただ独りで、「未踏の道」を歩き続けた人だと思います。その結果、見るものに、きわめて斬新で、鮮烈な印象を与えるような、新しい絵画の世界を切り開くことができたのではないでしょうか。

 さらに、すでに述べたように、ゴッホの傷つきやすさや独り善がりなどの生得的な性格が、まわりとの人間関係を損ない、彼の社会生活を困難なものにさせてきました。

 経済的に困窮し、また、自分の家族も持てず、さらに、まわりの人たちからは、「社会に適合できない人」といった烙印を押されたゴッホにとって、画家として生計を立てること、絵画を通して「人に必要とされる人間」になることが、彼の唯一の希望(ノゾミ)であったようです。今流に言えば、それがゴッホにとっての「リベンジ」であった訳です。

 また、常に孤独にさいなまれたゴッホにとって、絵の世界に没頭している時のみが、その苦痛から逃れ、かつ、高揚感を得られる時だったのではないでしょうか。

 このように、自らの性格ゆえに、そのような生き方を選らばざるをえなかった訳ですが、それでも、そのような苦難の途を「全身全霊」で歩み続けたことが、絵画に対する優れた資質と相まって、ゴッホ偉大な画家にまで上り詰めることができた理由だったのではなかったのかと考えています。

 そんなゴッホが、かりに、運よく、”普通の人”として、「穏やかな生活」を送ることができていたならば、どうだったでしょうか? おそらく、彼の名画の数々がこの世に生まれることはなかったのではないでしょうか。 


 

参考文献

1)「フィンセント・ファン・ゴッホの思い出」、ヨー・ファン・ゴッホ=ボンゲル、1914.(林卓行 監訳、東京書籍、2020.)

2)「ファン・ゴッホの生涯」  (上、下)スティーヴン・ネイフ他、(松田和也訳、 国書刊行会 2016.)

3)「ゴッホの手紙」、小林秀雄、新潮社、2020.

「ことばのクスリ」、志村宗生、東京図書出版、2023

「性格と精神疾患」、志村宗生、金剛出版、2015. 



 

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