はじめに
前回の投稿で、プーチンの「性格」から見てみた場合、ウクライナでの戦争の終結への途はとても困難なものとなる可能性が高いと、述べました。
つまり、プーチンは、ロシア軍が多少劣勢に陥ろうとも、それで弱気になって、戦争を終わらせようと考える人ではありません。また、世界で孤立しようとも、外国の首脳たちの意見に耳を傾けるような人でもないのです。情報の限られたロシア国民に対しては、巧みな弁舌を駆使するなどの、情報のコントロールを行い、一定の国民の支持を維持しようとするでしょう。
このように、戦争終結の兆候がなかなか見えてこないような状態が続くと考えられますが、それでは、いったい、どのような戦争終結の道筋がありうるのかについて、プーチンの「性格」といった観点から、考えてみたいと思います。
戦争終結のシナリオ
a.圧力をかけ続ける
まず第一に、この戦争を終結に導くための、「必要条件」は、プーチンに圧力をかけ続けることだと考えています。
このようにして、ロシアの劣勢が明らかになり、ロシアの孤立が進むと、一方で、それを何とか挽回しようとする、プーチンの動きも強まるのですが、他方で、プーチンの中で、自らの「完全さ」を守り切れないのではないかといった「不安」も増大するはずです。その不安の増大が、状況の変化をもたらす可能性を高めると考えます。
では、ウクライナ侵攻が終結に向かうことに、何が「決定的なもの」となるのかについて述べてみますが、それは、あくまで、プーチンが政権の座についていることを前提とする話だ、ということをご承知おきください。
b.戦争により「偉大なロシア」が瓦解する危機を実感した時
まず、第一に、戦争が終結する可能性があるとすれば、いかに、プーチンが抗ったとしても、ウクライナ侵攻を続ければ続けるほど、彼が理想とした「偉大なロシア」が逆に遠ざかっていくだけでなく、侵略開始前よりも、さらに衰退したロシアを見ることになることに気づいた時ではないかと考えています。ある意味で、「どん底」が見えてきたような時であり、ロシアや自らの未来に対して「不安」や「恐怖」を感じた時ではないでしょうか。
そもそも、ウクライナへの侵攻は、「偉大なロシア」への復興を目指してのことであり、そのロシアを衰退させてまで、戦いを続けることに合理性はないはずです。でも、「全知全能」の存在となったという彼の思いこみが、合理性の範囲で行動することを妨げていたと考えられます。つまり、ものごとをすべてコントロールできるといった思い上がりが、ものごとの「限界」を認知する能力をプーチンから奪っていたのではないでしょうか。そんなプーチンの認識や行動を変えるものがあるとすれば、自らが大切にしているものが失われるという恐怖ではないかと考えられます。
もともと、ものごとを合理的に考える傾向をもっている人なので、一旦、ウクライナの侵攻を断念すると決めたならば、その後は、合理性に従って行動できる人だと考えます。つまり、何らかの責任転嫁や言い訳をするかもしれませんが、粛々と、戦争終結への道を進めていくと考えられます。
ただ、基本的に、プーチンの性格が変わった訳ではないので、和平交渉の中では、現実的な範囲ではありますが、執念深く、さまざまな要求をしてくることが考えられます。
c.盟友が離反しそうになった時
第二に、戦争終結が始まる可能性のある場面とは、プーチンがもっとも頼りにしている、つまり、彼が精神的に依存しているような人たちが、プーチンから離れそうになった時だと考えます。
もしも、彼らが、ウクライナ侵攻に非現実的にこだわり続けるプーチンを見捨てようとする時、プーチンは、彼らを引き留めるため、ウクライナでの戦争を終結することに、しぶしぶ、同意するかもしれません。プーチンの性格としては、一旦、意を固めたことを途中で覆すようなことはないので、粛々と、戦争終結へと歩を進めていくものと考えられます。
おわりに
そのいずれのシナリオにしても、早期に実現される可能性は少ないでしょう。つらいことですが、しばらくは、激しい戦闘が続き、互いの兵士の死傷者や民間人の犠牲者は増え続けることになると思います。その先の、さらに、その先に、やっと平和が見えてくるものと考えます。
できれば、全世界の指導者たちが、戦争がいかに悲惨で、文明や地球環境を破壊するものかを、この戦争を通して学んでくれたならば、多少は、この戦争による犠牲も、無駄ではなかったと思えるかもしれません。
そうであることを祈るばかりです。
◇このシリーズの初回の記事は、「性格」から見たプーチン-(1)-なぜウクライナ侵攻を始めたのか-です。
【参考文献】
「性格と精神疾患」、志村宗生、金剛出版、2015.
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